部屋の扉が、ゆっくりと開いた。トーカは一瞬、身を固くする。



「誰かいるのか?」



ウィルの声だ。



「おい、誰か…―――っ!」



ウィルがコンピュータの前で座り込んでいるトーカを目に止め、目を大きく見開いた。



「トーカ! お前、なんでこの部屋に…」



ウィルは歩き出し、トーカのすぐ前で立ち止まった。

トーカは目に溜まった涙を、袖でゴシゴシと拭いて、それからウィルを見上げる。



「なあ、ウィル。俺は、俺たちは、人を殺すために生まれてきたのか……?」



ウィルは顔をゆがめただけで、何も答えない。



「ウィル、お前はこれのこと、知ってたのか? イルマは…イルマは全部、知ってるのか?」

「…………」

「答えて、くれよ。頼むから…ウィル……!」



ウィルの服を掴み泣き崩れるトーカを、ウィルはじっと見つめていた。

そして唐突に、口を開いた。



「逃げろ、トーカ」

「え…?」



予想していなかった言葉に、トーカは顔を上げた。



「逃げるんだ、トーカ。イルマと一緒に。

陸善が、『S.O.L計画』の前段階までの準備を整えた。もう次は、お前達の能力の解析と戦闘を行うだけで、『S.O.L計画』は発動する。

お前達はそれに巻き込まれちゃいけない。お前達は、戦ってはいけないんだ。だから…あいつらの目が届かないところに、逃げろ」



そう言って、ウィルはトーカの手首を掴んだ。そのままトーカを立たせ、背中を押す。



「地上の厩舎に行け。馬が何頭かつないである。その中から好きな馬を一頭選んで、馬具を付けてろ。俺は静嵐と薬を持っていく」



言うだけ言って部屋を出ようとしたウィルの袖を、トーカはかろうじて掴んだ。そしてウィルの顔を見上げ、見つめた。「お前は、俺の味
方なのか?」と、尋ねるように。

ウィルは微笑み、トーカの頭に手を乗せて言った。



「だいじょうぶ。俺は、お前を裏切らない」



そっと、袖を掴むトーカの手を解き、部屋を出て行く。一人残されたトーカはウィルの背中をずっと見ていた。その姿が消えてからもトー
カはそのままの格好でいたが、一度頭を振ってから、ウィルに言われたとおりに厩舎に向かった。

低木に囲まれた厩舎には、十頭ほどの馬がつながれていた。皆、身体が大きく、その分気性も荒そうだった。

その中でトーカは、自分に向けられている視線に気付いた。そちらを見てみれば、一頭の黒鹿毛の馬がこちらを見ている。



「お前、俺と一緒に来るか?」



そう言って手を出せば、その黒鹿毛は顔を手に摺り寄せてきた。



「ありがとう」



トーカは一度その場を離れ、壁にかけてある馬具を取りにいった。馬具には様々な大きさや形があり、どれをあの黒鹿毛に付けるべきなの
か判らなかったが、適当に選んで付けてみると、黒鹿毛は頭を上下に振った。「これで良い」と言っているのだろうか。



「良かった。そうだ、お前に名前をやるよ。前にいたやつの御下がりなんだけど……千影。千の影で、千影だ。気に入ったか?」



少しばかりはにかみながら言うと、黒鹿毛――千影は軽く嘶いた。

それに驚いたトーカだったが、不意に背後に気配を感じ、能力を発動し振り返りざまに回し蹴りを喰らわせる。固いものに当たる音と痛み
があった。



「待てトーカ! 俺だ!」

「ウィル!?」



トーカは二撃目を構えていた右腕を降ろした。



「それだけ気配に反応できてれば、これから先も大丈夫だな」



そう言いながら、ウィルは千影の馬具に静嵐とバッグを積み始めた。



「なあ、ウィル」



後ろでそれを眺めていたトーカが、ウィルに声をかけた。



「どうした?」

「お前、服の下に腕甲でも付けてるのか? さっき、すげぇ痛かったぞ」

「…………ああ、いつ何があるか判らないからな。よし乗れ、トーカ」



何だ今の間は。そう問おうとしたが、タイミングを逃してしまい、それはできなかった。

トーカはウィルの手を借りて千影の背に跨った。



「俺が時間を稼ぐから、お前はイルマを連れて、どこか遠くに逃げろ」

「…イルマはあのこと、知ってるのか」

「恐らく知らないだろうな。陸善はそういう奴じゃない」



憎々しげにウィルが言った。それから、千影に乗ったお陰で自分よりも高いところにいるトーカを見上げた。



「もう会えないかもしれないが……」

「会えるッ!!」



ウィルの言葉を遮り、トーカは叫んだ。ウィルが驚いて、幾度も瞬きをする。



「絶対に、また会える」



トーカはもう一度、けれど先程よりもしっかりとした声で言った。

それを聞いたウィルは、やはりまだ驚いていたが、やがて優しく微笑み始めた。



「そうだな。また絶対に会おう」

「当たり前だ、バカ」



そう言いながらトーカは、拳を前に出した。ウィルもそれに倣って拳を出し、トーカのとぶつける。



「じゃあ、な、ウィル」

「ああ」



トーカは手綱を引き、千影を走らせる。けれど少し行ったところでスピードを緩め、体だけウィルの方を向いて叫んだ。



「無事でいろよ、ウィル!!」



言うだけ言って、また猛スピードで駆け出す。

トーカと千影の姿が見えなくなったところで、ウィルはポツリと呟いた。



「お前こそ」



それから方向を変え、研究所の方に歩き出した。



「さて、トーカももういないし、もう良いだろ」



そう言って、ウィルは袖を捲くった。そこには肌色をした、無機質に光る腕が。

もちろん、本物の腕などではない。かといって、義手というわけでもないが。

これは、プラチナフュートという物質で出来たものだ。

プラチナフュートは、今からおよそ50年程前に発見された鉱物で、最高の硬さと強度を誇り、加工され主に機械や兵器などに使われてい
る。

そしてウィルは、その類の一つである自操人形(オートマタ)だった。

ウィルは一度目を閉じ、両腕にコマンドを送った。瞬間、硬質な両腕が、白銀色の鋭い刃に変化した。

視界に「complete」の文字が現れたことを確認し、ウィルは余計なウインドを全て消してから、目を開けた。

…………やはり、近くに人間の生命反応は無い。ウィルは多少警戒しながら、研究所に向かって走り出す。トーカが向かった方とは逆の、
正門の方へ。

門が見えてきたところで、ウィルは高く跳び上がった。そのまま、目の前の監視塔を切り倒す。この中には、人間も他の自操人形もいない
ので、何のためらいもなく出来た。

大きな音をたてて、監視塔だった物が地に落ちた。同時にそれが爆発し、中空の辺りにいたウィルの身体を吹っ飛す。けれどその程度、ど
うということはない。音も無く着地した。



「お、自操人形!!?」



丁度そこにやってきた研究員が、ウィルの刃と化した両腕を見て叫んだ。ウィルは小さく舌打ちをし、彼の鳩尾を突いて気絶させた。もち
ろん、倒れる体を受け止めてやることなどしない。



「人は殺すなとデータに組み込まれてはいるがな、同時にお前達が入力した感情のメモリーでは、お前たち研究者を激しく憎悪している」



だから容赦なんてしない。ウィルはそう言った。それから、先ほどの爆発に驚いて研究所から出てきた研究員と、詰め所から出てきた三十
名あまりの防衛員を睨みつける。研究員は怯んだが、防衛員は全く動じず、狙撃銃を向けてきた。隊長と思われる男の合図で、全員が発砲
する。けれどそれらは全て、ウィルの身体に跳弾して、どこかへ飛んでいった。



「バカだろう、お前たちは」



数名の額に、青筋が浮かんだ。



「第二射! 発砲開始ッ!!」



再び、銃弾の雨がウィルを襲った。いつの間にか銃を連射型のものに変えたようで、雨はなかなか止まない。



「まったく、面倒だ」



そう小さく呟き、ウィルは―――消えた。次の瞬間には、数十メートル離れたところにいた防衛員の団の背後に。

突如、自分たちが持っていた銃が火を吹かなくなったことに驚き、突然ウィルが自分たちの後ろに立っていることに唖然としている防衛員
が、次々と倒れ伏していく。

倒れた全員が、脚や腕に死なぬ程度の傷を負い、彼らの持っていた全ての銃器が細かく切り刻まれていた。それらは鋭利な刃物、ウィルの
両腕の刃によってやられたものだ。



「自操人形を、なめるなよ」



ウィルは固く閉じられた門扉を斬り、中に入った。トーカが空良の部屋に入った映像と、トーカのデータを消すためだ。

映像はともかく、別にデータは消さずとも良いのかもしれない。こちらに戻ってきた目的は、トーカが逃げる時間を稼ぐことだから。



「これが、本当の《感情》なのかもな」



それから数分後、空良の部屋まであと五十メートル足らずということろで、



「―――っ!?」



急に、ウィルの歩みが止まった。視覚センサーの画像がブレ始め、信号が身体全体に伝わりづらくなり、データ処理のスピードも遅くなっ
てきた。



「…ジゃミンぐ、か……」



ああ、あまり時間が無いようだな。そう理解し、フルスピードでメールを作成する。暗号化を施し、登録していた端末のアドレスに送信し
た。

少し時間が経ってから、フォントの崩れた「complete」の文字が浮かんだ。



「とーカ……マた、会オウな…………」



そしてウィルの思考は、完全にショートした。














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