翌日、前日までならサーカスのテントに向かっている時間に、リトアルドたち二人はネルト魔法学校にいた。



「今日は、新しい魔法を授けましょう。魔法獣の召喚術です」

『はい』



二人同時に返事をし、モールは分厚い魔術書を差し出した。アズナが受け取るが、ずしりという重みが両腕にかかる。



「原版の魔法はこれに載っています。けれど、さすがのあなた方でも現物は無理でしょう。簡易版を授けますね」

「モール女史、たまには、原版の魔法を教えてくださいよー。あたしたちだって、魔力がどんどん上がっていってるんですから」



アズナがぷぅ、と頬を膨らませて言った。リトアルドは、それに同意という風に首を縦に動かす。



「…良いでしょう。それではアズナ、私たちが喚ぶ妖精、彼らはいつもどこにいるのですか? 彼らはどのような生き物なのですか? 
それを、しっかりと、明確に説明してみてください」


「通称《あるべき場所》と呼ばれていて、私たちの発する魔力を辿ってここに現れます。辿ってきた魔力の持ち主に言うことに従い、魔
力の持ち主を護るのが妖精たちです」

「では、《あるべき場所》が存在するといわれている世界はどこですか、リトアルド?」

「この世界とは全く違う次元、そこにある《湖》です」



アズナとリトアルドの説明に、モールは満足そうに頷いた。



「そのとおりです。これなら、原版を授けても大丈夫でしょう」

「やった!」

「頑張ろうね、アズナ」



二人は喜んで飛び跳ねた。それを見てモールが微かに微笑み、そして言った。



「魔法獣は別名、縁獣(えんじゅう)とも呼ばれます。妖精たちのいる世界、《湖》の《縁》にいると言われているからです。魔法獣も
妖精と同じように、魔力の痕を辿ってここに現れ、持ち主に従います。一人の魔術師に一体しか従わず、その姿かたちも、一体一体違い
ます。

 二人にはまず、《湖の縁》に行ってもらいます。そこで自分にあった魔法獣を見つけ出し、契約を結んでください。ここからが、原版
と簡易版の違いですよ。簡易版では、契約の調べが簡単になっています。けれど現物では調べが長く、その間に魔力をかなり消費するた
め、ネルトを卒業した生徒の殆どは、簡易版を使って魔法獣を従えました。あなた方は、現物と簡易版、どちらで魔法獣を従えることが
できるでしょうね?」



イタズラじみた顔でモールは言う。それによって、リトアルドたち二人の顔に緊張が走った。けれど、それと共に自信に満ち溢れた表情
も出てくる。



「絶対に、現物で従えて見せますよ」

「モール女史、私たちをなめないで下さい。これでも、ネルト史上最高値の魔力を持ってるんですからね」

「期待してますよ。それでは、まずは調べを教えましょう。少し長いので何度も言いたくありませんから、一度しか言いませんよ。よく
聞いてくださいね」



モールは一拍置いて、調べを唱え始めた。





   我が名はモール、汝の主となるべき者
   湖岸に住みし汝がために、我は此方(こなた)へと来たり
   我が名のもとに、命じよう
   汝は我の影となれ
   汝の望みを叶ふるかわりに
   我が呼びかけに応え、我を助け、我を護れ
   我が血のもとに、契約せよ
   我が服従の命を受け入れよ





モールが口を閉じる。調べは二人の想像よりも長く、完璧に唱えられるか、全く自信がない。



「我が名はモール、のところは、自分の名前に変えてくださいね。それと、魔法獣には名前がありませんから、従えるときに、名前を授
けてあげてください」

「ち、ちょっと、待った。頭こんがらがった……」



やはりアズナには難しかったのだろう。頭を抱え、目が回っている。魔法獣の前では、魔力を発しながらこれを唱えなければならない。
 


「……ん。多分、大丈夫だと思います」

「そう。リトアルドは大丈夫そうですが、アズナは……聞くまでもないかしら。まだ早かったかもしれませんね」

「大丈夫ですっ! 魔法獣なんて、簡単に従えられます!」



アズナの言葉に、モールが顔を顰めた。



「アズナ、魔法獣も生き物なんです。そのようなことを言ってはいけませんよ」

「……はい」



うなだれるその様は、まるで飼い主に叱られて耳を垂れる犬のようだ。



「それでは、これからあなたたちを《湖の縁》へ送ります。どんなものであれ、魔法獣を従えられれば合格です。従えることができたの
なら、私のことを思い浮かべて魔力を発しなさい。私がこちらへ戻します」

『はいっ!』



二人の返事を聞き、モールが手をかざして呪文を唱えた。



「フィエ・ラグマ」



途端、目の前が真っ暗になった。それと共に、断崖から突き落とされたような感覚に包まれる。



「あ、れ……?」



リトアルドは、完全に方向感覚を失ってしまったいた。自分が今向いているのは、東西南北、上下左右のどれにあてはまるのだろう。

隣にはもう、アズナはいないようだ。この妙な感覚を味わっているのは、己のみ。

しばらくして、ようやく地に降り立つことができた。足が僅かに沈む。足元を見れば、とても軟らかい砂があった。本で読んだ「海」と
いうものの「海岸」には、こんな砂しかないらしい。



「ここが《湖の縁》なのかな、やっぱり」



ここで待っていても魔法獣は現れそうにないので、リトアルドは歩き出した。と言っても、どこに向かえばいいのかも解っていない。



「魔法獣は《湖の縁》にいるって言われても、こんなに広いんじゃ出会うのも難しいよ」



独り言というのは、こういう場合に言うのが一番寂しいのだと、あらためて感じるリトアルドであった。










歩き始めてから、かなりの時間が経った気がする。けれど、未だにリトアルドは魔法獣に遭うことすらできていなかった。



「一体どこにいるっていうの。足跡すら見つけられないよ……」



砂地ならば、僅かでも足跡は残るだろう。だが、どこにも足跡などは無い。もしや、魔法獣が姿を現す時間は決まっているのかもしれな
い。そしてリトアルドたちがここへ来たのは、丁度それを過ぎたばかりだったからではないのか?



「もしそうなら、モール女史を少し恨むかも」



ちなみに、後で聞いてみたのだが、全く違う場所にいたアズナも、全く同じ事を言っていたらしい。



「従える魔法獣って、どんな姿のがいいんだろ。やっぱ、大きいヤツ?」



そんなことを言っていても、魔法獣が現れてくれなければ意味はない。



「て、何コレ!?」



俄かに、地面が揺れ始めた。その揺れは生易しいものではない。リトアルドは立っていられず、膝をつく。

と、そこへ二体の魔法獣が現れた。現れたというより、砂地の周りに生えている木が倒され、それに伴って姿が見えたようなものだ。

一体は全身がツルで覆われた亀のような生物。レアル国の神話では、似たようなものが「ガスポリオ」と呼ばれている。

もう一体は上半身が獣の毛で覆われた人間の体、下半身は鷹の足が生えた馬の体。神話で言う「ケンタウロス」のようだ。



「喧嘩してるのかな、あの二体」



急いで近くの茂みに隠れ、その二体をじっと見やる。

ケンタウロスの方が腕を振り上げ、ガスポリオを爪で切り裂いた。頭の周りを覆っていたツルが切れ、垂れ下がる。

反撃とばかりに、ガスポリオはツルをケンタウロスの足に巻きつかせ、転ばせる。

横に倒れたケンタウロスが吼えた。ガスポリオが一瞬怯み、そこを狙ってケンタウロスが再び切り裂く。喚声が辺りに響いた。



「すっごい声!」



周りの煩さに影響され、リトアルドの声も大きくなってしまう。けれど、ガスポリオとケンタウロスには聞こえていないようだ。


そうしているうちに、もう一体の魔法獣が現れた。今度は、空から。



「…………ッ!」


先ほどの二体とは比べ物にならない威圧感。リトアルドは思わず、それに見とれていた。まだ完全には、姿は見えていない。それでも既
に、リトアルドは魅了されていた。

神々しいオーラが、辺り一面に漂う。そしてようやく、姿が見えるようになった。

鷲の翼と、鉤爪の生えた手を持つ人の体。その目は堅く閉じられている。神話では、この姿を持つ神を「ヴィルディータ」と呼ぶ。

リトアルドはこのとき、この魔法獣を何としてでも従えさせようと思った。もちろん、授ける名前はヴィルディータだ。



〈そなたは誰ぞ〉



脳に直接響く声がある。おそらくこれは、ヴィルディータのもの。

リトアルドはそれに応えずにいたが、ヴィルディータはそのまま地に降り、ガスポリオとケンタウロスを退けた。リトアルドと話をする
ためなのか、それとも、ただ単に邪魔だったのかは解らないが。


ガスポリオとケンタウロスは、先ほどの戦いを放棄し、ヴィルディータを睨みつけた。そして、先ほどの戦いからは想像できないほどの
連携攻撃を仕掛ける。ガスポリオがツルを伸ばし、それと共にケンタウロスが切り裂こうと前に出てくる。

目は見えないはずなのにヴィルディータはそちらを向いて、口を開いた。
 


〈我は、そなたらには用は無い。去れ〉



彼らは、ヴィルディータの言葉に身を震わした。人間が、何か恐怖の対象を見たときに鳥肌を立てるのに似ている。攻撃を寸前で止め、
すぐにその場を去っていった。

空に浮かぶヴィルディータが、リトアルドの方を向いた。



〈我が問いに答えよ。そなたは何者ぞ〉



リトアルドは、一度息を整えてから、モールに教えられた調べを唱える。





   我が名はリトアルド、汝の主となるべき者
   湖岸に住みし汝がために、我は此方へと来たり
   我が名のもとに、命じよう
   汝は我の影となれ
   汝の望みを叶ふるかわりに
   我が呼びかけに応え、我を助け、我を護れ
   我が血のもとに、契約せよ
   我が服従の命を受け入れよ





〈……そなたは、あちらの世界の者か〉



ヴィルディータが言う。閉じられたその目に、一瞬だけかげりが見えたような気がした。



〈そなたの魔力は、かつての者と同じだ……〉
「…………?」



ヴィルディータの口が、小さく動く。そこから洩れる声は小さすぎて、リトアルドには聞き取ることが出来なかった。



〈……良いだろう。我は、そなたと契約しよう〉



一瞬の間があったものの、リトアルドはその了解の返答に安堵した。



「よかった。それじゃあ、あなたに名前を授けます。あなたの名前はヴィルディータ、神様の名前です」

〈ほぅ、我に神の名を授けるか。我も随分と、良き身分となったものよ。では我が主。主の名を、我に教えてはくれまいか〉

「リトアルド・サフィーユといいます」

〈それでは、我が主・リトアルド。そなたの世界に、帰ろうぞ〉

「はい」



ヴィルディータに答えてから、モールに言われた通り、魔力を発した。

すぐに目の前が真っ暗になり、次の瞬間には、ネルト魔法学校に戻っていた。隣に立っていたはずのヴィルディータはもう隣におらず、
代わりにそこにはモールが立っていた。その隣には、アズナがいる。

アズナの足元には、大型犬ほどの大きさの獣がいた。頭部は鷹のようだが、体の部分は狼と獅子を混ぜたようなものになっていて、尾は
馬のよう。翼は無いが、他国の文献にあったグリフォンに似ている。



「遅かったですね、リトアルド。魔法獣は従えられましたか?」

「はい、モール女史。ヴィルディータ、出てきて」

〈御意、我が主〉



リトアルドの声に応え、ヴィルディータが出てきた。リトアルドの影から、ゆっくりと。それを見て、モールが「まあ!」と驚嘆の声を
あげた。



「ランクB-1の魔法獣、キルアースを従えたのですね。さすがですね、リトアルド」

「ランクB-1? キルアース?」



聞きなれない言葉に、リトアルドが首を傾げた。



「アズナにはもう教えましたが、魔法獣にはランクがあるのです。

ランクにはAからDまで、そしてそれが、1から3に分かれています。あなたが従えたキルアースはそのなかの、ランクB-1。アズナの従えた
魔法獣・カリペックはランクB-3になります。キルアースは、あなたの名付けた魔法獣の種族名です。

私は生き物をランク付けするのは好きではないですが、魔法獣はより魔力の高いものに従います。ランクは、それのレベルを表している
のですよ」



その説明の最中、アズナはずっと不機嫌そうだった。やはり、自分の魔法獣のランクが低いのが、悔しいのだろう。彼女は負けず嫌いだ
から。

リトアルドはヴィルディータを出したまま、アズナに近づいた。アズナの魔法獣、カリペックが毛を逆立てる。



「ねぇアズナ」

「なに?」



その言葉も、やはり不機嫌そう。彼女は顔を上げようともしない。



「アズナの魔法獣は、何て名前? 私のはヴィルディータっていうの」

「……アイリージュ」



アズナはぽつりと言った。けれどリトアルドは、それを聞き逃さなかった。



「アイリージュって、春に咲く薄紫色の小さな花の名前だよね。綺麗な名前だね」



これを聞いて、アズナが少し嬉しそうな顔をした。



「ヴィルディータは神様の名前だね。リートらしいよ」

「そっちこそ」



先ほどまで険悪ムードが続いていたというのに、すでにそれは消え去っていた。

それを見たモールは微笑み、ぱん、と手を一つ叩く。



「それでは、今日はこれで終わりにしましょう。解散です」

『はい!』



二人同時に返事をし、ヴィルディータとアイリージュを《湖の縁》に還した。



「モール女史、私たち、これから出かけてきますね!」

「帰りは昨日と同じくらいだと思います!!」



モールの返事を聞くことなく、二人は駆け出した。向かうは、もちろんサーカス団のテントだ。








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