トーカは、自分の部屋へと続く廊下を歩いていた。手には、鞘に収めた静嵐のみ。その表情は、アレン・ミハエルを殺した罪悪感からか、 暗く見える。 トーカの部屋と先ほどの部屋との距離が半分くらいになった頃、トーカはようやく、文庫本を持ってき忘れたことに気付いた。 「やべぇな。あの本、空良(くうりょう)に借りたやつなのに」 空良とは、正確な名前を坂之上空良という。イルマの「父親」、坂之上陸善の弟だ。もちろん、トーカもイルマもそのことを知らない。 「どーすっかなぁ。部屋に戻んのもカッコわりぃし」 そう悩んでいるところに、一人の男がやってきた。背後からそっと、だ。そしていきなり、トーカの頭に手を乗せた。 「わっ!?」 それに驚いて、裏返った声を上げて跳ね上がるトーカ。それを見て、男は大笑いした。トーカはそっと後ろを見る。 「なんだよ、ウィルじゃねーか。脅かすな。つーか、さっさと黙れ、煩い」 「悪い悪い。けど、お前もやっぱりガキだな。あんだけ驚くとは、全く想像できなかったぜ」 ウィル・フリーズ、男の名だ。ウィルの見た目は二十五、六歳だが、実年齢は十八歳。少し老けて見えるので、他人に年齢を当てられたこ とが無い。おまけに、体が十八歳のものとも二十五、六歳のものとも思えないほど大きい。 「煩いって言ってんだろ。ったく、お前の方が……ッ!」 突如、トーカの顔が引きつった。胸が苦しくなり、立っていられなくなる。息が出来ない。腰を折り、胸を両手で押さえる。けれど、それ でも息は出来なかった。ガシャンと音をたてて、静嵐が床に落ちる。 「お、おい!!」 それを見かねて、ウィルが手を出してきた。タイミングよく、そこにトーカが倒れこむ。浅い呼吸が続いている。 「はあっ、はあっ……はっ…」 少しは楽なるかも知れないと思って、ウィルは床に横たえた。 「またいつもの発作か!? おい、薬は。薬はどこだ!」 「はっ、静嵐の、鞘の…はあっ……巾着…」 トーカが言う。見ているこちらが苦しくなってきた。 ウィルは大急ぎで、静嵐の鞘に付いていた巾着袋からカプセルを一粒出した。それと共に、常備している水筒からコップに水を注ぐ。 「飲めるか?」 トーカの口元にカプセルを持っていき、体を起こす。口の中にカプセルを入れて、それを水で流しこんだ。トーカがそれを飲み込んだ。そ れから、息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出す。 「大丈夫か、トーカ?」 「…あ、ああ」 ようやく落ち着いたようだ。過呼吸もおさまり、安定した呼吸が続く。ウィルに肩を支えられながら、上半身を起こした。 「また、力を使ったのか?」 「ああ。今日のはアレン・ミハエルって名前だった。あのミハエル大統領の息子だと」 「ミハエルか。そんなに強かったのか? 普通の人間なら、力を使わなくても倒せただろ?」 「あいつ、仇討つために今まで生きてきたんだ。そんなやつに、手加減なんて出来ない」 悲しそうな目で言うトーカを見て、ウィルがトーカの髪をぐしゃぐしゃと乱す。 「お、おい。何すんだよ!」 「やっぱお前はガキだ」 「ガキじゃねえ!!」 言い返してくるトーカを宥めて、ウィルがトーカを担ぐ。それも肩に。右手には静嵐が握られている。 「ウィル、肩で担ぐな! せめて肩貸して歩かせろっ!」 「さっきまで死にそうだったくせに。もう少し病人らしくしてろ。それに、いまは体が動きにくいんだろ。とっくに解ってるよ」 う〜、と唸っているトーカはそのまま、ウィルに担がれていた。もちろん、騒がないわけは無いが。それを無視して、ウィルは部屋まで運 んでいったのだ。 ある程度まで進んだところで、トーカは異変に気付いた。 「なー、ウィル。俺の部屋、もう通り過ぎたぞ?」 「空良がお前を呼んでる。連れて来いって言われてんだ」 「へー、あいつがねぇ。……てヤベェ! 俺、空良に借りた本忘れてきたんだ!」 ウィルの肩の上で、トーカが暴れた。「暴れまわるな馬鹿!」「煩ぇ一遍降ろせ!」と、口喧嘩が始まる。 「だー、もう静かにしてろ! 俺が後で取りに行ってやるから!」 「じゃあ任せた」 ウィルのその言葉を待ってましたとばかりに、トーカはようやく静かになった。肩の上に担がれることに、もう抵抗はしないらしい。 それから約五分ほど経って、空良の部屋についた。 「ウィル、降ろしてくれ。静嵐もくれ」 「あいよ」 トーカは肩の上から降ろされ、渡された静嵐を握った。ウィルはその後に、空良の部屋の扉をノックした。 「空良、トーカを連れてきた」 「いいよ、入っておいで」 ウィルの声に応える声が聞こえ、トーカたちは部屋に入った。部屋の中央には、大きなモニターが。それには、先ほどまでトーカとアレ ン・ミハエルが戦っていた部屋に、この部屋に続く廊下などが映されていた。モニターの前にはコンピュータのキーボードがあり、そして その前に設置された椅子に、空良が座っている。 「なんか用か、空良?」 「それよりトーカ。さっき、発作を起こしただろう。大丈夫かい?」 「なんだよ、見てたのか」 「ここに続く廊下には、監視カメラがセットされている。僕はいつもこれを見ているんだよって前に言ったと思ったけど、それは僕の気の せい?」 笑顔でそう言う彼が、トーカの「父親」である人間、坂之上空良だ。 「それなら、本持ってくんの忘れたってことは知ってるよな」 「もちろんさ。ウィルが代わりに取りに行ってくれることもね。早速だけど、行ってきてくれるかい、ウィル?」 「へいへい」 ウィルが部屋を出るのを見届けてから、空良はトーカのほうに向き直った。 「それで、発作を起こしたんだろう? 薬はちゃんと飲んだ?」 「飲んだよ。見てたんだろ、それも」 「まぁね。でも、トーカはたまにサボるから」 クスクスと笑う空良。遠くから見ていると、トーカと空良は兄弟のようにも見える。 「なぁ、何で力を使うと発作が起きるのか、もいっかい説明してくんね?」 トーカの質問に、空良はやれやれというように首を振った。 「仕方ないね。まずはトーカの能力がどんなものか、っていうのから説明しようか。 トーカの能力は、体中の筋肉を自在に扱えるっていうもの。武器でも何でも、物体を持てば最強の肉体になるわけだね。けど、そんなこと をずっと続けていれば、筋肉には相当な負担が掛かる。それに、筋肉が常に緊張状態にあるから、急に胸が苦しくなって息が出来なくなる んだよ。あの薬は、筋肉を一時的に麻痺させるものなんだ。だから、あの薬を飲んだ後は体が動きにくいんだ。解ったかい?」 「………」 トーカはずっと黙っている。それどころか首もだらん、と垂れている。もしかして、と思い、空良が下からトーカの顔を覗くと、 「寝てるし」 すーすーと寝息を立てて眠っていた。丁度そこに、文庫本を取りに行っていたウィルが帰ってくる。 「おいトーカ、本持ってきた…って、寝てるのか?」 「そうみたいだ。まあ、全身の筋肉を無理矢理使ってるんだ、疲労も溜まるでしょ。悪いけど、トーカを部屋に運んでもらえるかな?」 「了解。とりあえず、これだけ渡しておくぞ」 ウィルが文庫本を差し出す。空良はそれを受け取った。 「ありがとう。じゃ、頼んだよ」 頷いてから、ウィルはトーカをおぶった。そしてそのまま、再び部屋を出て行く。バタンという音がしてから、扉が完全に閉まる。 「さて、そろそろ時間か」 空良はそう呟く。それから、目の前の大きなモニターに向き直った。部屋に、カタカタとキーを押す音だけが響いている。 「聞こえる?」 モニターに向かって、空良が言った。一瞬遅れて、モニターに映像が映る。陸善の映像だ。 〈ああ、音声は良好だよ。映像は来てないけど〉 「いつまで経っても、そっちの回線に接続するのは苦手でね。こっちの顔を見せられないのが残念だよ」 〈兄弟でも、そういうところは似ていないんだね、きっと〉 「そうだね、兄さん」 親しげに話す彼らは、全く違う場所にいる坂之上兄弟である。 〈それじゃあ、そろそろ"計画"を始めようか〉 「あの"計画"を? まだ早くないかい?」 〈そう言ってきて、何年経ったと思ってるんだ。十五年もあれば、もう充分だろう〉 「……わかった。こちらのを、そっちに向かわせよう。いつから開始する?」 〈早い方がいいだろう。明日にでも開始しようか〉 「わかったよ、兄さん」 空良のその言葉を最後に、陸善との交信が途絶える。モニターは、ザザザとノイズ音をたてていた。 「ごめんね、トーカ。僕は……」 俯いて、呟く。その表情はどんなものだったのだろうか。 お気に入りましたら、クリックお願いします♪ Back Next