小さな窓から、太陽の光が漏れてくる。それが光の柱となり、ベッドに寝転ぶイルマの後頭部を照らしていた。



「やっぱりキレイ」



イルマが見ているのは、陸善から貰った植物図鑑。それの紅葉のページだった。陰って少し見づらい。先ほどまでは光の柱は図鑑のページ
を照らしていたのだが、イルマが少し前へ出たために光が遮断され、今ではイルマの後頭部を無意味に照らしている。



「でも、銀杏もいいなぁ。いい加減、雪の山じゃなくて葉っぱの山に飛び込みたいなぁ」



両足を揺らし、肘をつき、イルマはぼやいた。それもそうだろう。一年の半分の冬は雪に覆われ、もう半分の夏は針葉樹に覆われるのだ。
何年もそれに変わりは無い。飽きるのも道理だ。



「……すごくつまんない。なにか面白いこと無いかな」



図鑑を閉じ、パタリと横になった。仰向けになり、目を閉じる。少し眠気が襲ってきた。



「ねむい……」

〈イルマ、起きているかい?〉



そこで、陸善の放送が聞こえた。



「父様……?」



目は開けずに呟いた。半分はすでに寝ているためだ。



〈話が終わったから呼んだんだけれど……まだ寝ているかい?〉

「行く」



ゆっくりと起き上がり、寝惚け眼で陸善の部屋に向かった。



〈壁に頭をぶつけないようにね〉

「うん」



そして言われた側から、扉の隣の壁にぶつかるのであった。










「イルマ、大丈夫かい?」

「ちょっと痛い……」



額の一部分を真っ赤にして、イルマは陸善の部屋に来た。



「それでね、イルマ。さっき外に出ていただろう?」

「うん、出てた」



額をさすりながらイルマは答えた。



「そのときに、誰か子供に会わなかったかい?」

「子供?」

「そう。イルマくらいの年の子供。男の子だと思うんだが」

「……多分見てないと思う」



けれどその後に「あ、でも」という言葉が続く。陸善が身を乗り出した。



「でも、何だい?」

「でもね、遊んでる時に声が聞こえた感じがしたの。お前、って。けど、振り向いたら誰もいなかった」



それを聞いて、陸善が楽しそうに口の端を上げた。



「どうしたの、父様」

「いや、何でもないよ」



イルマは首を傾げたが、陸善はそれを軽く流した。



「わかった。それじゃあもう部屋に――」

〈所長!〉



そこで、研究員からの通信が入る。緊迫した様子だ。



「どうした」

〈また侵入者です! どうやら、今回もデータを盗む気のようで……〉



そこまで聞いた陸善は、イルマの方を見やった。



「イルマ、任せられるかい?」

「……うん」



頷いたイルマは部屋を出て行く。その背中を、陸善はじっと見ていた。










「何か最近、侵入者の数が増えた感じがするなぁ」



侵入者の始末が終わり、イルマはそのまま、自分の部屋に戻っていた。陸善もカメラ越しにそれを見ているので、報告はしなくてもいいだ
ろう。

血で汚れた服もそのままに、ベッドに飛び込むイルマ。



「父様も、最近変わった」



少し前までは、陸善は優しかった。侵入者の始末も、イルマにはあまり任せなかった。だというのに、最近はそういうことがない。全ての
侵入者をイルマに始末させている。それどころか、毎日その様子を観察されている感じがしていた。



「私って、父様の何なんだろ」



その疑問が、ずっと心の中で渦巻いていた。



「……もういいや。寝る」



考えることが面倒になり、イルマは眠った。すぐに、安定した呼吸が聞こえてきた。



「まったく。イルマはそんなことを考えるようになったか。いい加減、自分がどんな存在なのかを理解してもらいたいね」



陸善はもちろん、その様子をカメラ越しに見ていた。頬杖をつき、呟いた。



「わざとデータを適当にそのあたりに置いておいて……いや、それはダメか」



浮かんだ案をすぐに消す。それから頭を振った。



「面倒だ、本当に」



自分が画策した"計画"とは言え、やはり子供の世話は面倒だ。もともと、陸善は子供が嫌いである。



「そうだ、空良にこちらのデータも渡さないと」



陸善は今までのデータをディスクに保存し始めた。イルマの今までの言動や脳波の動きなど。細かく記されているデータが、どんどんディ
スクのメモリーに蓄積されていく。

全てのデータのコピーを終えてから、空良の研究所に通信を入れた。モニターに空良の顔が映った。多少は学習したようだ。



〈兄さん? いきなり、どうしたんだい? まだ定例時間にはなってないはずだけど〉

「いや、こちらのデータも渡したほうがいいかと思ってね。それでウィル・フリーズとトーカを、こっちに寄越してくれないか? こっち
は人手が足りなくてね」

〈……わかった。明後日の昼頃に行かせるよ〉

「助かる。今日はそれだけだ。時間を取らせたね」



そう言って、陸善は一方的に通信を切った。モニターも、勝手に電源が切れる。

陸善はコンピュータの電源を切り、ディスクを持って部屋を出た。



「今度こそは、イルマとトーカを会わせなくてはね。そうでないと、これから先が面白くならない」



陸善は呟き、一度部屋を出た。










「う〜〜」



イルマは、うなされていた。ゴロゴロと寝返りを打っている。あまり良い夢ではないらしい。



「……む?」



突如、イルマはぱちり、と目を覚ました。冷や汗をかいている。

それから両手でいきなり頭を抱える。今見ていた夢を思い出そうとしているのだ。けれど、それは一向に記憶の海の底から浮かび上がって
はこない。



「なんか、嫌な感じだった気がするんだけどな。全然思い出せない」



イルマの能力のひとつは予知能力。度々、それは予知夢になって現れた。それに普段イルマはノンレム睡眠なので、ごくたまにしか見るこ
とのない夢を憶えているのは得意である。だが今回は、完璧に忘れ去ってしまっていた。



「……いいや。忘れるってことは、知らないほうが良いってことだろうし」



イルマは思い出すことを諦め、再び眠った。その様子は、丁度部屋を出ていた陸善は見ていなかった。










翌々日。

トーカとウィルは、昨日と同じように地下水路にいた。



「ウィル、今日も雪あるかな」

「無いと思うぞ。そろそろ気温が上がってきて、夏になる。雪も殆ど融けてるだろ」

「つまんねーの」



雪が無いなら、外ではしゃぐ気にもならない。トーカは船の上に寝転んだ。



「けどな、雪のほかにもいろいろとあるぞ。水芭蕉とか、水仙とかな。探してみれば結構あるぜ?」

「花には興味無い」



トーカはきっぱりと言ってのける。軽く溜め息をついてから、ウィルはボートを発進させた。



「ホラ、あれが蒲公英。あれだったら、研究所の裏に咲いてるかもな」



ボートに乗りながら、ウィルは目に付いた蒲公英を指差す。



「ふーん、あれがタンポポねぇ」



少しだけ起き上がって、ウィルの指差すタンポポを見やる。小さく黄色い花が見えた。その隣には、白い丸いものがあった。



「ウィル、あれ何だ?」

「ん?」

「タンポポの隣にあるやつ。あの白いの」

「ああ、あれか。あれは綿毛だ」



聞きなれない言葉に、トーカは首をかしげて問う。



「わたげ?」

「蒲公英の種のことだよ。白く見えるのは、種についた羽だ」

「種に羽が生えてるのか?」

「羽とも言い切れないんだけどな。風が吹いて飛ばされる仕組みになってる。雨のときは、羽が湿って飛ばないようにもなってるんだ。昔
から日本に生えてる花だ」

「へー」



花には興味無い、と言っていたのに、今ではもう興味津々だ。



「ウィル、そろそろ夏になるんだろ? 夏って、何が出てくる? 花とか、虫とかで」

「そうだなー。虫だったらカブトムシだな。あとは蚊だ。蚊なら見たことあるだろ?」

「ああ」

「花だったら……向日葵とか。このあたりに咲いてたかな」



カブトムシや向日葵なら、空良の図鑑などで見たことはある。けれど、



「やっぱ、外は知らないことばっかだ」



トーカは再び寝転がった。少しだけ眠るつもりだったのだが、目を開けてみれば、もう陸善の研究所に着いていた。



「お、やっと起きたか」

「もっと前に起こせよな」

「あんだけ無防備に寝てれば、起こす気も失せるさ」



ウィルは笑いながら言った。



「あの寝顔見た奴なら、絶対笑うぞ」

「笑うなっ!」



そうこうしている間に、前のように研究員二人が迎えに来た。前とは違う研究員だったけれど。



「お待たせしました」



そう言って、研究員は歩き出す。トーカとウィルは、二人についていった。










「あ、ウィルさんだ! ……あれ、隣にいる男の子、誰なんだろ」



研究所に入っていくトーカたちの姿を、イルマは自分の部屋の窓から見ていた。薄い赤色の、短い髪が風に舞っている。

ウィルの名前は陸善に聞いた。けれど、トーカのことはまったく聞いていない。



「紅葉と同じ色だ。いいなー」



イルマは、自分の飴色の髪を弄る。



「そうだ、ウィルさんに挨拶するついでに、あの子と会ってこようっと!」



ぴょい、と広い窓枠から降り、陸善の部屋に向かった。ウィルは前にこの研究所に来たとき、まっすぐ陸善の部屋に行ったからだ。

もちろんこのイルマの行動は、陸善の思惑通りだった。


 
「このままなら、放っておいてもイルマとトーカは出会うことになるな」



トーカたちが来るのを待ちながら、イルマが部屋を出るところをカメラで見ている陸善。その顔は、とても楽しげだった。

丁度そこで、部屋の扉がノックされる。



「ウィル・フリーズとトーカをお連れしました」

「入って良いよ」



扉が開き、トーカとウィルの姿が見えた。



「わざわざ来てもらっちゃって、すまないね。空良に届けてもらいたいものがあるんだ」

「いえ」



隣に立っているトーカは、ウィルの体が僅かに震えているのが解った。実際、トーカ自身もこの男は嫌だ。



「父様、入っていい?」



突然、扉が僅かに開いた。その間から見えるのは、飴色の長い髪とエメラルドグリーンの瞳。イルマだった。



「いいよ、おいで」

「ありがと」



イルマが部屋に入ってくる。イルマの顔を見たトーカは、驚いて目を見開いた。



「こんにちは、ウィルさん。イルマっていいます」

「……はじめまして」



ウィルは軽く頭を下げた。それからイルマは、トーカのほうに向き直った。



「はじめまして。あなたは何て名前?」



トーカは答えず、イルマのことをじっと見ていた。沈黙に耐え切れず、イルマが問う。



「どうしたの?」

「トーカ」



ポツリと呟くように言った言葉は、しっかりとイルマの耳に届いた。



「トーカ? それが、あなたの名前なんだ。どうやって書くの? 私は魔を射るって書くんだけど、あなたは? それとも、トーカはイギ
リスとかの人?」



また押し黙るトーカ。しばらくしてから、ようやく言った。



「討神だ。神を討つ、と書く」

「かっこいいー!」



イルマの目が光った。そしてトーカの手を握って上下に振った。



「私の名前と似てるね。射魔と討神、兄弟みたい!」



そこで、ウィルの体が、僅かに反応した。



「イルマ、そろそろ部屋に戻りなさい。父様は、まだお話があるから」



陸善に言われ、イルマは「はーい」と返事をしてからトーカの手を離し、部屋を出て行く。扉を完全に閉める前に一度、顔だけをこちらに
向けて手を振った。



「バイバイ、トーカ!」



そして扉を思い切り閉める。それを見送ってから、ウィルが口を開いた。



「陸善さん、空良に届けるものとは? 少し急いで帰らなければいけないので」

「ああ、そうだったね。これだよ」



そう言って陸善が差し出したのは、一枚のディスク。この前ウィルが手渡したものに似ている。



「よろしく頼むよ」

「はい。行くぞ、トーカ」

「お、おい。待てよ!」



つかつかと先に部屋を出たウィルを追いかけ、トーカも急いで部屋を出る。扉がバタンと閉まった。

部屋に一人残った陸善は、腹を抱えて笑い出した。



「はははっ! ウィル・フリーズがあんなに面白い反応をするとはね。思ってもみなかった! それにトーカもだ。あんな反応を示してく
れるなら、これから先もきっと面白くなる!」



しばらくそのまま笑っていて、粗方笑い終えたら、ディスプレイに向き直った。空良に連絡するためだ。ただ今回は、空良はまったく応答
しなかった。また接続に失敗したのだろう。仕方が無いので、陸善はメッセージを残すことにした。内容は、こう。



「トーカもウィルも、今帰ったよ。今日はイルマとトーカが会ってね。あの反応が面白かったよ、まったく。ウィルが怒っているみたい
に、せかせかと帰っていった。君にも見せたかったね、あれは。

 うん、今日はこれだけだ。データはそっちで破棄しておいてくれ」


そして、ぶつり、と接続を切る。










場面は、部屋を出てボートに向かっているトーカたちに移る。



「おい、ウィル! ウィルってばっ!」



何度呼びかけようとも、ウィルはその歩みを止めようとはしない。我慢の限界になったトーカは、ウィルの体にタックルした。



「うお!」



前につんのめって、ようやく止まった。というより、コケた。



「何だよ、トーカ!」

「そりゃあこっちの台詞だ。なんで大急ぎで帰ろうとしてんだよ。それに、あの陸善って奴、何なんだよ。一緒にいるだけで、舌なめずり
してる蛇に睨みつけられてる感じがする。一体何者だ、あいつは」

「……まだ知らなくていい。とりあえず戻るぞ」



 再びウィルは歩き出した。今度はゆっくりと。



「ウィル、誤魔化すな! 俺の問いに答えろよ!」



何度も言うのだが、ウィルが答えることはなかった。結局、トーカも諦めるほか無かった。










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