二年前。



「リトアルド、あなたはこれから、ネルト魔法学校に通い、学校の寮に入ります。だから、あなたがこのサフィーユ孤児院にいられるの
は、今日までです」

「はい、リジェアーナおばさん」

「よって、これよりあなたに『サフィーユ』の名を授けます。今からあなたの名は、リトアルド・サフィーユです」

「はい、リジェアーナおばさん」

「しっかりと、その名に恥じぬように生きるのですよ」

「はい、リジェアーナおばさん」

「……ちょっとでも辛いって思ったら、いつでも帰って来るんだよ、リート」

「だいじょうぶだよ、アンおばさん。私は、強いからね」

「じゃあ、行っておいで、リート」

「行ってきます、アンおばさん」



そうして私は、小さな旅行鞄を二つ持ち、赤ん坊の頃からずっと過ごしてきたサフィーユ孤児院を後にした。










そして、現在。



「ねぇねぇリート!」



リトアルドは読んでいた本を閉じて振り向いた。彼女の両耳につけられた耳飾りの形をした魔法具(マジックアイテム)が揺れる。

   ぶす

自分を呼ぶ声の主は、知人のアズナ。そのアズナの人差し指が、リトアルドの右頬に刺さる。



「まぁた引っかかった! リートってホント面白いよね!!」

「アズ、いい加減にしないと、私も怒るよ?」



顔は笑顔で、けれど心は本気でキレながらリトアルドは言った。



「怒ったー。コワーイ」



おどけた様子でアズナは言った。

リトアルドはそれを無視して「で、本題は何?」と尋ねる。



「あ、わかった? あのね、こんなチラシ見つけたの! 付き合ってくれない?」



そう言ってアズナが見せたのは、ピンク色の紙切れ。

読んでみると『臨時団員募集中!! 魔法が使える女性なら大歓迎。お問い合わせはこちらへ!』と書いてある。



「その臨時団員って、何の?」

「サーカス」

「…興味無いよ。他の人間を当たってもらえる?」



リトアルドは本を鞄に入れ、立ち上がった。けれどその肩を、アズナが掴んでもう一度座らせた。



「リートは顔キレイだから、こういうのに採用されやすいの! だから、ね? ね?」



リトアルドは誉められたことに多少喜びながらも、けれどそんなものに付き合いたくないと思っていた。けれど、
 


「ホラホラ、行こうリート!」

「ちょ、コラッ勝手に決めないでよ!」



アズナはリトアルドの言葉を聞くことなく、手を引いて行ってしまった。










「じゃあリート、これ着て!」



宿舎のアズナの部屋に連行されたリトアルドは、いきなりレースのスカートのようなものを渡された。



「何さ、これ?」

「見てわかんない? 今流行りの超ミニワンピ!」

「ミニって言っても、これは短すぎない?」

「それが流行りなの!」



リトアルドが驚くのも無理は無い。その「ミニワンピ」というものは、着れば太ももはおろか下着まで見えてしまうのではないかというほ
ど、とてつもなく短い。



「絶対に着ないよ、こんなの」



リトアルドはすぐに、それをつき返した。こんなのを着ているところを学校の皆に見られたら、羞恥で二度と外を歩けなくなってしまう。



「バイト代出たら、四分の一渡すから!」

「ん」



それにリトアルドが食いついた。ネルト魔法学校から奨学金を貰っているため学費には困っていないが、生活費に苦労しているのである。
リトアルドたちが住居として
いるネルト魔法学校内の宿舎では、ただ家のみを提供している。つまり、炊事、洗濯などは自分でやれ、ということだ。


リトアルドは「三分の一」と言いながら、指を三本立てた。



「う〜〜。……よし、わかった!」

「じゃ、それ頂戴」



アズナは「ミニワンピ」をリトアルドに渡す。それを受け取ったリトアルドは、少しの間アズナの部屋から出た。それから、するすると服
を脱ぐ音が聞こえる。耳飾り型の魔法具とアンクレット型の魔法具がじゃらりと鳴った。



「リート? 終わった?」

「うん。入るよ」



そう言って入ってきたのは、先ほどの魔法具が付いていた黒い服を着た、男子のようなリトアルドではない。美少女という言葉がぴったり
の女子だ。空色の髪を、前髪を僅かに垂らしたポニーテールにし、夕焼け色の瞳を目立たせる。レースが裾に付き軽やかに舞う、群青色の
その布。リトアルドの髪に、とてもよく似合う。



「やっぱキレイだねー。羨ましい」

「ありがと。アズは、どれ着ていくの?」

「コレだよ」



アズナが出したのは、赤色のシャツ。穿くのは黒のジーパンだ。



「すぐに着るから、ちょっと待ってて」



アズナも部屋から出た。リトアルドは、勝手にベッドに座った。



「女の子の部屋って、本当はこんなのなのかなぁ」



部屋を見回す。壁にはアズナが流行っていると言っていた服が掛けられ、様々なポスターが貼られていた。その殆どを、リトアルドは知ら
ない。



「結構いろんなものが流行ってるんだね。全然知らないものばっか」



リトアルドに両親はいない。生まれてすぐに孤児院の前に捨てられ、それからずっと彼女は孤児院で育った。孤児院は私設のものだったの
で、それほど資産も無く、リトアルドを含めた孤児院で育った者たちは、必要最低限のもの――服や下着、勉強道具などだ――しか買って
もらったことはない。ましてや、ポスターや流行の服など、見せてもらうことも無かった。

けれど、孤児院内でずば抜けて魔力の高かった彼女は、今通っている、ネルト魔法学校に入学させてもらった。そこで出会ったのがアズナ
だ。神官アリストス卿の娘で、魔力の高さではなく身体能力の高さを買われて入学したと言っていた。



「お待たせー!!」



バンッ、と大きな音をたててアズナが入ってきた。サイドに結い上げられた彼女の黒い髪が、赤いシャツに映える。



「どう? 似合う?」

「うん。とっても似合うよ」



リトアルドの拍手に、アズナが礼をした。まるでアイドルのようだ。



「それじゃ、面接行こ! 教会の近くの集会所でやってるんだって」



言うや否や、アズナは鞄の持ち手とリトアルドの腕を掴んで部屋を出た。準備も完璧だったのか。



「ちょ、引っぱんないで! というか、教会にお父さんいるんでしょ? そんな近くだと知られちゃうよ!」

「だいじょーぶ! お父さん、今は教会じゃなくて中央魔法塔にいるから!」



リトアルドは「そのサーカスの中にでも格好いい男がいたのか」と思った。










「ちょっとアズ!! 集会所通り過ぎたよ!」

「うそっ。全然気付かなかった!」



リトアルドが言わなければ、アズナはリトアルドの手を引っ張って国の外れまで行っていただろう。



「ホラ、急がないと面接始まるよ。遅刻したら合格する可能性、下がるって知ってるでしょ?」

「そうだ、面接始まるの、夕二つ鐘だって書いてあった!」
 


アズナが思い出したように言った。いや、実際に思い出しているか。
夕二つ鐘とは文字通り、南中の鐘が鳴ってから二つ目の鐘のことだ。つまりは南中を過ぎ少し経った頃の時間である。



「夕二つ鐘って、もうすぐだよ」

「急がなきゃ!」



再び、二人は走り出す。










「すいません!」

   バンッ

集会所の扉が、勢いよく開いた。



「面接、受けたいん、ですけど…」



息を整えながら、リトアルドが受付人らしき男に言った。クスクスと笑いながら言った言葉はこれだ。



「そんなに急がなくて良かったんだぞ。チラシに書いてあった時刻は目安だから、多少の遅刻は減点対象になったりはしない」



文字通り肩を落とした二人に、男は二枚の面接カードとペンを渡しつつ言った。



「それじゃあ、これを書いて待っててくれるか? あ、マークの付いてるところだけ書けばいいからな」

「はい」



リトアルドがそれを受け取ると、「頑張れよ」と言われた。



「は、はい!」



アズナが叫ぶように言った。声が裏返っている。

二人は、面接会場となっている部屋の椅子に並んで座った。



「なんか、あの男の人カッコよかったね、リート」

「あ、やっぱり男狙いだったんだ」

「やっぱりって何よ、やっぱりって!」

「だって、あたしはバイトなんてしない! って前に宣言してたよ。アズは気持ちがころころ変わるんだね。この前は魔法具ショップの
バイトさん好きになった〜、って言ってたし」

「こ、コラ!」



からかい半分で言ったつもりなのだが、アズナはそれの所為で顔が真っ赤になった。



「もうあの人はいいの!」

「ほら、やっぱり」

「ゆ、誘導尋問かぁあ!!」



煩く喋っていた所為だろう、周りの面接者が二人の方を睨んできた。二人は、小さくなって面接カードを書き始めた。

面接カードは、住所・氏名・年齢と特技を書けばよいという。氏名と年齢、特技は簡単に書けるものの、ネルト魔法学校の宿舎の住所は
書けない。書いてしまえば、学校に連絡されて退学だ。



「ちょっと、アズナ。住所どうするの? 宿舎の住所なんて書けないでしょ」



アズナはその問いに、ニィと笑ってピースをした。



「だいじょーぶ。こういうときのために、外れに空家借りたんだぁ。そこの住所これから書くから、写して」

「……こンの大金持ち」



リトアルドの言葉はわざと無視したのか、アズナはさらさらと住所を書き込んでいく。リトアルドはそれを、一字一字、丁寧に写していっ
た。



「ねえ、アズ」



リトアルドが声をかけた。


「なに?」と答えたアズナを、リトアルドは真剣な目つきで見る。



「な、なんなのよ」

「本気で好きな人がいるんだね」

「まだそれを言うか!」



そして二人は、再び他の人間に睨まれるのであった。










面接が開始されてから、かなり時間が経った気がする。つい先ほど鳴った鐘は、おそらく夕三つ鐘だろう。そろそろ日が暮れ始める頃だ。
日が短いこの国では、夕四つ鐘が鳴れば民はいそいそと家に帰り始め、夕六つ鐘がなる頃には殆どが寝てしまう。

面接を受ける人数が予想よりも多く、このままでは夕五つ鐘までに終わらないかもしれないと団員が言っていた。

けれど家に帰ろうとするものはいないようで、リトアルドは「他の人間も男が目当てか」と危うく口走りそうになった。



「次の人、二人来てー」



とうとうリトアルドたちの番が回ってきた。彼女たちの前あたりから、時間がなくなるということで二人同時に面接することになり、
まるでネルトの受験の時みたいだね、と話していたところだ。もちろん小声で。



「カードをもらえるかな」

「はい」



二人は面接カードを手渡し、椅子に座った。面接官はカリスと名乗る男。顔立ちは整っており、イケメンというものに分類されるであろう
人間だ。アズナはカードを渡す時、ずっとこの男の顔を見つめていた。



「えっと、アズナ・アリストスさんとリトアルド・サフィーユさん、ね。時間が無いから、簡単なのしかやらないよ。二人には、順番に何
か芸をやってもらう。サーカスで見せる芸をお願いするよ。魔法を使っても構わないからね。それじゃあ先にアリストスさん」



アズナが立ち上がる。「頑張ってね」というリトアルドの言葉に、頷いてみせた。それから深呼吸をする。



「はー、ふー。はー、ふー………サラマンダー!!」



大声で炎妖精・サラマンダーの名を呼び、召喚した。彼女の周りを、サラマンダーの火の粉が舞った。そして、風妖精・シルフを召喚し、
火の粉をさらに舞い上がらせ炎を大きくした。アズナはとても喜んだ顔だったが、リトアルドは全く違う顔をしていた。



「(ちょっと待った。サラマンダーの火の粉をシルフの風で舞い上がらせて大きくして、そうなるといろんなものに火が移って……)」



リトアルドは部屋全体を見回した。戸は閉まっているので、隣の部屋に火の粉が飛んでいく心配はない。だが、この部屋にはカーテンと
面接カードがある。もしそのどちらかにでも火の粉が飛べば、この部屋、否、この集会所全体に火の手が上がるだろう。



「ウンディーネ!」



リトアルドは迷わず、水妖精・ウンディーネを召喚した。サラマンダーの火を、消さぬよう、燃え移らぬよう、そっと水で包み込む。火が
淡く光った。



「おお!」



呑気にカリスは、拍手などをしている。そしてアズナは驚き、口をあんぐりと開けていた。



「あの、えっと……」



水が消え、火が消え、リトアルドはどう説明しようか迷っていた。火事になりそうだったからなどと言えば、アズナは不採用となるだろ
う。けれど二人でいっしょにやると言えば、他の面接者に卑怯だといわれるだろう。

カリスが、リトアルドの方へと手を伸ばしてきた。そして、



「すごいじゃないか、二人でそんなこともできるなんて! どうやって水の中に火の粉を入れるんだい? 本当に凄いよ、君達は!!」



そう言って、リトアルドの手を掴み、上下にぶんぶんと振る。



「そ、それじゃあ……?」



リトアルドが、まるで長官の顔色を窺う兵士のように、カリスの顔を見やった。



「二人とも、採用だ。明日からの公演に出てもらうよ」



笑顔で言った彼の言葉に、リトアルド達は手を繋ぎ合って喜んだ。



「やったね、アズ! 二人ともだよ」

「そうだね! やったね!!」

「喜んでくれるのはありがたいけど、そろそろ次の人に来てもらいたいから、部屋から出てもらえるかな。明日は朝五つ鐘が鳴る頃に中央
公園の前で待っててね」



二人はそれに「はい!」と大きな声で答え、集会所を出た。

そしてそのまま、二人は共に宿舎に向かった。宿舎の門の前で別れ、リトアルドは宿舎の中へと入っていった。

彼女達は、それぞれ別の棟の宿舎に住んでいるのだ。

アズナはリトアルドを笑顔で見送り、自身も宿舎へと向かう。けれど、その彼女の瞳は恨みを表していた。





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