リトアルドは、部屋のバルコニーから庭園を見下ろしていた。けれどその目は庭園を見ているのではなく、ただ考え事をしていて偶然目が そこを向いていただけだ。 「あんなことしちゃって、アズ怒ってるかなぁ。当たり前だよね、アズの魔法を邪魔しちゃったんだもんね。どうしようかなぁ………そう だ、風文(かざぶみ)で謝ろう!」 俯いていた顔を上げ、リトアルドはすぐにシルフを呼び出した。そして、別棟のアズナに向けて風を送る。 風文とは、シルフの風に言葉を乗せて、それを伝えるもののことだ。音は、風に乗ればどこへでも届けることができる。それと一つの欠点 を利用して出来た伝達方法だ。欠点とは、この国には“電気”というものが無いということ。他国には、電気に声を乗せて遠くに届ける 「電話」というものと、電気で文字を書いて遠くに届ける「メール」というものがあるらしいのだが、この国ではそれが出来ない。ゆえ に、魔術師のなかで「風文」が作られ、一般人のなかでは「伝書バト」が使われているのだ。 けれど、風文にも不可能なことがある。相手が自分の送った風を受け取ることが出来なければ、それは成立しないのだ。だから最初に相手 に風を送り、相手がそれに風を送り返してきて初めて、風文が可能になる。 「アズ、もう寝ちゃってるかな」 何度かアズナに向けて風を送るが、なかなか風が返ってこない。 「やっぱ、明日謝ろう…と?」 部屋に戻ろうと後ろを向いた瞬間、あたたかい風が髪を揺らした。そしてその風は、リトアルドがアズナに風を送った回数だけ吹いてき た。 「アズ!」 言葉を風に乗せ、大急ぎでシルフに運ばせる。すぐにアズナからの返事が来た。 『どうしたの?』 「今日のこと謝ろうと思ってさ」 アズナの風が、少しだけ止まった。けれどすぐに言葉が運ばれてきた。 『今日のことって……あのウンディーネ?』 「うん。やっぱ、怒ってるよね」 『ううん、全然。気にしなくていいよ。だって、あれってあたしが悪いんだもん。サラマンダーとシルフなんて、あんなとこで召喚しちゃ いけないんだよね。すっかり忘れてた』 「でも、アズの魔法、台無しにしちゃった。ホント、ごめんね」 『気にしなくていいってば。それよりも、明日のことを考えようよ。明日はいきなり参加だしさ。明日も、あれで行く?』 「そうだね、本番前にちょっと練習しよ。それにしても、明日が休学日でよかったよね。そうじゃなかったら、先生たちに何て言って誤魔 化せばいいか」 『そのときは、あたしに、どーん、と任せときなさい!』 風文では映像は見ることが出来ない。けれど、向こうではアズナが胸を叩いているに違いない。 「あはは。そのときは、どうぞよろしくお願いします。それじゃ、おやすみ」 『うん。おやすみ、リート。明日は四つ鐘の時間にこっちの宿舎の前で待っててね』 「わかった。じゃあね」 リトアルドは、シルフを《あるべき場所》へと帰し、部屋に戻ってそのまま眠りについた。 朝。鐘が鳴っている。回数は、四回。 「四回っ!?」 リトアルドは文字通り飛び起きた。鐘が四回鳴っているということは、今は朝四つ鐘。昨夜アズナと待ち合わせると決めた、朝四つ鐘だっ た。 「うそ、ありえない!」 大急ぎで髪を整え、服を選び、宿舎を出た。 今日は休学日のため、宿舎から外に出る人間はあまり多くない。辺りはとても静かだった。 「あ、リート」 「ごめん、アズ!!」 宿舎の前で手を振るアズナのもとに、リトアルドが走ってやってきた。 「もしかして、寝坊したの? 髪の毛ボサボサ」 アズナはリトアルドの髪を手で梳いた。あまり手をいれていないため、幾度も毛が引っかかる。 「四つ鐘、鳴ったとき、起きた。はあ…」 息を整えながら言うが、起きたばかりでこの運動は辛い。 「はは、お疲れ。それじゃ行くよ」 「ちょっと…待ってよぉ……」 たった一言だけ言って先を歩くアズナに、よろよろとリトアルドはふら付きながらついていった。 「待って、ってば…アズ…」 「急がないと練習できないでしょ。頑張りな」 「けど、朝ご飯、食べてない……」 「自分の責任でしょ。急ぐよ」 きっぱりと言うアズナに、リトアルドは違和感を憶えた。 いつものアズナは、こんな感じだっただろうか。こんな風に、自分の責任とは言え友達を置いていくような人間だっただろうか。 「……うん」 感じた違和感を振り切り、リトアルドはアズナに付いて走っていく。 少し遅刻した二人を出迎えたのは、面接官をしていたカリスだった。昨日の、スーツを多少崩した服装とはうってかわり、今日は黒いジー パンに青いシャツ、黒のジャケットのという、動きやすさ重視の服だった。 「やあ、二人とも。おはよう」 「お、おはようございます、カリスさん!」 「遅刻してすみませんでした」 アズナは声を裏返して答え、リトアルドは頭を下げた。 「大丈夫だよ。開演は夕一つ鐘からだし、その前にリハーサルとか団員の紹介とかをする予定だったからね」 「カリス、その子達が新人さん?」 カリスの後ろに建つテントから、一人の若い女が出てきた。髪をゆるくカールさせ、それを一つに結んでいる。 「ああ、ローゼ。丁度良かった。リトアルドさんとアズナさんだよ」 『はじめまして』 「とてもよく気が合っているわね。はじめまして、あたしはローゼ。呼び捨てで構わないわ。空中ブランコ担当よ」 ローゼは順番に二人と握手を交わす。それに続いて、カリスも手を出してきた。 「遅ればせながら、僕はカリス。猛獣使いだよ」 リトアルドはカリスの手を取ろうとしたが。 「よろしくお願いします! あの、カリスって呼んでもいいですか?」 「あ、うん。こっちもアズって呼ばせてもらうね」 アズナが目にもとまらぬ速さでカリスの手を取った。 「凄い速さ……」 呆然としていると、ローゼは肩に手を置いてきた。 「カリスは女の子に人気だからね。彼氏にするなら今のうちよ」 「私は男の方には興味ありませんので」 「あら、あまりいない方の女の子ね」 きっぱりと言うリトアルドを、アズナは目の端で睨みつけた。けれど当人はそれに気付いていない。 カリスは、今度はリトアルドに手を差し出してきた。 「よろしくね、リート」 「よろしくお願いします、カリス」 握手を交わし、四人はテントの中に入った。 テントの中央で、サーカス団員全員が座っている。その前に立っているのはリトアルド、アズナ、カリスだ。すでに全員が本番用の衣装を 身に纏っていた。と言っても、リトアルドとアズナだけが私服だったので、二人を着替えさせただけだ。 「みんな、新人のリトアルドとアズナ。昨日話した子達だよ」 「リトアルドです。リートと呼んでください。よろしくお願いします」 「アズナって言います! アズって呼んでくださいね。皆さん、よろしく!」 「いえーい!」と言って、団員が拍手をする。二人は礼をした。 「それじゃ早速だけど、リハーサルをやるよ。みんな準備して!」 『了解、団長!!』 一言叫んだ後、団員が散らばっていく。カリスは、唖然としているリトアルドたちの方を見た。 「そういえば言ってなかったよね。僕はこのサーカス団の団長。団長カリス、猛獣使いのカリス、どちらで呼んでもいいからね。でも、 できれば普通にカリスって呼んでほしいな〜」 「(この人、団長だったんだ…)」 今までの言動を見ていれば、この男が団長だと気付く者はいないだろう。 「……」 「どうしたの、アズ?」 リトアルドが、黙りこんでいるアズナに声を掛けてみると、アズナはぱっと顔を上げた。その目は太陽の如く輝いている。 「カリス、団長だったんだ! すごい! 猛獣使いも団長も務めるなんて、カッコいいです!!」 「いやー、それほどでも」 アズナの言葉に照れ、カリスは頭を掻いた。顔は赤くなっている。 「おーい、団長もリハーサルしとけよ!」 「そうだぞー!」 「前みたいに失敗しても、助けねーからなっ!」 赤くなったカリスを見て、団員達が口々に叫んでいく。聞いてみると、どうやらカリスは幾度か失敗しているらしい。 「みんなが煩いから、また後でね」 「はい!」 最後までテンションが高かったアズナは、カリスが立ち去るのもずっと見つめていた。何故だか、手も組んでいる。これでは恋する乙女で はないか。 「アズー?」 リトアルドはアズナの目の前で手を振ってみるが、彼女はまったく反応しない。 「おーい。帰って来ーい」 「……カリス…」 リトアルドは呆れかえり、テントの端にアズナを引っ張っていく。その間もずっと、アズナはカリスの去った方を見ていた。 「アズ、カリスに恋しちゃった、なんて言わないでよ?」 「うん……」 心ここにあらずの状態で答えるアズナ。これで、カリスに恋心を抱いたのは決定だ。 「まったく。それじゃ、さっさと練習しよう。カリスにすごいとこ見せようよ。本番で成功させれば、もっとアズを誉めてくれるよ」 「うん!!」 扱いやすい人だなあ。リトアルドはそう思った。ここまで簡単に言うことを聞くとは思っても見なかったからだ。 そして、リトアルドはウンディーネを、アズナはサラマンダーをそれぞれ召喚する。サラマンダーは火の粉を撒き散らし、ウンディーネは その火の粉を水でそっと包んだ。 「ねー、リート。本番でもっとすごいことしようよ!」 水と火の粉が消えたところで、アズナがリトアルドに言った。 「すごいことって?」 「それは本番まで内緒。あたしがすっごいの出すから、それにあわせてウンディーネを召喚してよ」 「うーん……その「すっごいもの」にもよるかな。私ができることをやってよ。本番で失敗しちゃったら、台無しだからね」 「任せといてよ」 そう言ってから、アズナはカリスのもとへと走っていった。リハーサルを見るつもりなのだろう。対してリトアルドは、楽屋と言われた場 所(ただ単に一枚の布で区切ってあるだけの部屋)に入っていった。そこには衣装や小道具が置いてあって、団員が休む場所はほとんど無 いと言っていいような場所だ。 「アズがカリスに恋しちゃったかー」 リトアルドは適当に、その辺りにあった木箱の上で膝を抱え呟いた。 「これじゃ、魔法の勉強は二の次どころじゃなくなっちゃうよね」 「お前は興味無いのか?」 「私は彼氏とかなんていらないし」 「だが、友人がどんどん妻というものになっていくのに、お前は一人でいいのか?」 「友達が幸せになるなら、自分はどうでもいいよ…て、え?」 自分の呟きに答える声があったのでつい話してしまったが、この声の主は一体どこにいるのだろう。この楽屋には人影は見えなかったはず なのだが、見えなかっただけで本当はこの場にいるのだろうか。 「俺はここだ。見えないのか? まさか、そんなわけは無いだろう?」 声のした方を見てみると、銀髪の男がリトアルドと同じように木箱に座っていた。整った顔立ちに、瞳は海のような深い青。小道具などで あまり見えないが、細く、けれど引き締まった体つきをしている。身に纏っているのは、リトアルドが今までに見たことも無いような服だ った。 「あ、ごめんなさい。気付かなくて…」 「気にするな。慣れている」 「慣れているって、そんな……」 そう言った銀髪の男の顔は、全く感情を出していなかった。むしろ、諦めている風にも見える。 「それで、お前は?」 「わ、私?」 唐突に言われ、リトアルドは一瞬たじろいだ。この問いは一体何を尋ねているのか。 「お前の名だ。何という?」 「…リトアルド、リトアルド・サフィーユって言います」 「リトアルドか。皆はリートと呼んでいたか?」 「は、はい」 リートと何度も繰り返し呟く男は、妙に楽しそうに笑っていた。 「まあ良い、リトアルドと呼ぼう。俺の名は栖螺希(すらき)だ。敬称はいらん。そのまま呼べ」 「すら、き……?」 「そんなに片言で言うな。この名は他国の文字で、こう書くんだ」 そう言って栖螺希は、落ちていた紙に名を書いて見せた。 「当て字なんだが、俺は割と気に入っている」 「はあ…」 リトアルドの事などお構いなしに、栖螺希は話を続ける。 「それでだ、リトアルド。お前は、友達が幸せになるなら自分はどうでもいい、と言ったな。ならば、友達が幸せになりたいと願い、その ためにお前を貶めようとしたのならば、お前はどうする?」 「いきなり、何なんですか?」 「いいから答えろ。お前の未来がそれで決まる」 「………それでもいい。ただ幸せになりたいって思ってやったことなら、私は恨まない」 リトアルドの答えに、栖螺希は、少し哀しそうな顔になった。 「そうか。お前がそう思うのなら良い。これで、お前の未来は定まった。後悔することの無いようにな」 「一体、何を…」 「リート、ここにいるのかい?」 リトアルドが栖螺希に問おうとしたとき、楽屋の布を持ち上げ、カリスが入ってきた。リトアルドはそちらを見る。 「そろそろ本番だ。お客さんを出迎えなきゃ」 「はい。栖螺希も一緒に…あれ?」 視線を元に戻したとき、そこに栖螺希の姿は無かった。辺りを見回しても、最初のように何処かに隠れている様子はない。 「何を探しているんだい?」 「今まで栖螺希って男の人と話してたんですけど、いきなりいなくなっちゃって」 「スラキ、ねえ……。このサーカスに、そんな人はいないよ。もしかして、寝てたの? さっきアズナに聞いたよ、待ち合わせの時間まで 寝てたそうじゃないか。もう本番間近なんだ。そのまま出て、失敗しないでよ」 「は、はい……」 リトアルドは、カリスに続いて楽屋から出た。けれど、栖螺希の言った言葉が頭から離れなかった。 開演の時間が、刻々と迫っている。カリス達はまったく緊張していないように見えるが、リトアルドとアズナの二人はガチガチと震えてい た。 「そんなに緊張しなくてもいいのよ。確かに失敗したら大変だけどね、そんなに緊張してると、かえって失敗するわよ?」 「そ、そんなこと言われても、どうしようもないの!」 アズナはこんな状態だが、リトアルドのほうはもっと重症だった。歩き回りながら「う〜」と唸り、地妖精・ノームを呼び出して地面を掘 らせたり、シルフを呼び出してノームに掘らせた土を風で舞わせたりしている。自分でも何をやっているのか解らないようだ。 そんな二人を見て、カリスが笑う。それから、こう言った。 「リートもアズも、落ち着いて平気だよ。そりゃあ、僕たちは何度もやってるから、全然緊張しないのは当たり前だし、君たちが緊張し て、何が何だかわからなくなるのも当たり前。でもさ、他人に見せるものでも、自分が楽しまなきゃ何にもならないでしょ。それに、君た ちはあんなにすごい芸を見せてくれたんだ。それをお客さんに見せなきゃ、もったいないよ。大丈夫、失敗しても何とかなるさ。ね?」 「カリス……」 アズナの顔が真っ赤になる。前以上に惚れたか。 『頑張ります!』 同時に二人は言った。団員全員が微笑む。 「よーし、それじゃ、そろそろ開演だ。みんな、行くよ! しっかり準備運動しておいてね!」 『了解!!』 リトアルド、アズナの初舞台が、遂に始まった。 お気に入りましたら、クリックお願いします♪ Back Next