< 壊れた輪廻の環 02





リトアルドは、部屋のバルコニーから庭園を見下ろしていた。けれどその目は庭園を見ているのではなく、ただ考え事をしていて偶然目が
そこを向いていただけだ。



「あんなことしちゃって、アズ怒ってるかなぁ。当たり前だよね、アズの魔法を邪魔しちゃったんだもんね。どうしようかなぁ………そう
だ、風文(かざぶみ)で謝ろう!」



俯いていた顔を上げ、リトアルドはすぐにシルフを呼び出した。そして、別棟のアズナに向けて風を送る。

風文とは、シルフの風に言葉を乗せて、それを伝えるもののことだ。音は、風に乗ればどこへでも届けることができる。それと一つの欠点
を利用して出来た伝達方法だ。欠点とは、この国には“電気”というものが無いということ。他国には、電気に声を乗せて遠くに届ける
「電話」というものと、電気で文字を書いて遠くに届ける「メール」というものがあるらしいのだが、この国ではそれが出来ない。ゆえ
に、魔術師のなかで「風文」が作られ、一般人のなかでは「伝書バト」が使われているのだ。

けれど、風文にも不可能なことがある。相手が自分の送った風を受け取ることが出来なければ、それは成立しないのだ。だから最初に相手
に風を送り、相手がそれに風を送り返してきて初めて、風文が可能になる。



「アズ、もう寝ちゃってるかな」



何度かアズナに向けて風を送るが、なかなか風が返ってこない。



「やっぱ、明日謝ろう…と?」



部屋に戻ろうと後ろを向いた瞬間、あたたかい風が髪を揺らした。そしてその風は、リトアルドがアズナに風を送った回数だけ吹いてき
た。



「アズ!」



言葉を風に乗せ、大急ぎでシルフに運ばせる。すぐにアズナからの返事が来た。



『どうしたの?』

「今日のこと謝ろうと思ってさ」



アズナの風が、少しだけ止まった。けれどすぐに言葉が運ばれてきた。



『今日のことって……あのウンディーネ?』

「うん。やっぱ、怒ってるよね」

『ううん、全然。気にしなくていいよ。だって、あれってあたしが悪いんだもん。サラマンダーとシルフなんて、あんなとこで召喚しちゃ
いけないんだよね。すっかり忘れてた』

「でも、アズの魔法、台無しにしちゃった。ホント、ごめんね」

『気にしなくていいってば。それよりも、明日のことを考えようよ。明日はいきなり参加だしさ。明日も、あれで行く?』

「そうだね、本番前にちょっと練習しよ。それにしても、明日が休学日でよかったよね。そうじゃなかったら、先生たちに何て言って誤魔
化せばいいか」

『そのときは、あたしに、どーん、と任せときなさい!』



風文では映像は見ることが出来ない。けれど、向こうではアズナが胸を叩いているに違いない。



「あはは。そのときは、どうぞよろしくお願いします。それじゃ、おやすみ」

『うん。おやすみ、リート。明日は四つ鐘の時間にこっちの宿舎の前で待っててね』

「わかった。じゃあね」



リトアルドは、シルフを《あるべき場所》へと帰し、部屋に戻ってそのまま眠りについた。









朝。鐘が鳴っている。回数は、四回。



「四回っ!?」



リトアルドは文字通り飛び起きた。鐘が四回鳴っているということは、今は朝四つ鐘。昨夜アズナと待ち合わせると決めた、朝四つ鐘だっ
た。



「うそ、ありえない!」



大急ぎで髪を整え、服を選び、宿舎を出た。

今日は休学日のため、宿舎から外に出る人間はあまり多くない。辺りはとても静かだった。



「あ、リート」

「ごめん、アズ!!」



宿舎の前で手を振るアズナのもとに、リトアルドが走ってやってきた。



「もしかして、寝坊したの? 髪の毛ボサボサ」



アズナはリトアルドの髪を手で梳いた。あまり手をいれていないため、幾度も毛が引っかかる。



「四つ鐘、鳴ったとき、起きた。はあ…」



息を整えながら言うが、起きたばかりでこの運動は辛い。



「はは、お疲れ。それじゃ行くよ」

「ちょっと…待ってよぉ……」



たった一言だけ言って先を歩くアズナに、よろよろとリトアルドはふら付きながらついていった。



「待って、ってば…アズ…」

「急がないと練習できないでしょ。頑張りな」

「けど、朝ご飯、食べてない……」

「自分の責任でしょ。急ぐよ」



きっぱりと言うアズナに、リトアルドは違和感を憶えた。

いつものアズナは、こんな感じだっただろうか。こんな風に、自分の責任とは言え友達を置いていくような人間だっただろうか。



「……うん」



感じた違和感を振り切り、リトアルドはアズナに付いて走っていく。











少し遅刻した二人を出迎えたのは、面接官をしていたカリスだった。昨日の、スーツを多少崩した服装とはうってかわり、今日は黒いジー
パンに青いシャツ、黒のジャケットのという、動きやすさ重視の服だった。



「やあ、二人とも。おはよう」

「お、おはようございます、カリスさん!」

「遅刻してすみませんでした」



アズナは声を裏返して答え、リトアルドは頭を下げた。



「大丈夫だよ。開演は夕一つ鐘からだし、その前にリハーサルとか団員の紹介とかをする予定だったからね」

「カリス、その子達が新人さん?」



 カリスの後ろに建つテントから、一人の若い女が出てきた。髪をゆるくカールさせ、それを一つに結んでいる。



「ああ、ローゼ。丁度良かった。リトアルドさんとアズナさんだよ」


『はじめまして』


「とてもよく気が合っているわね。はじめまして、あたしはローゼ。呼び捨てで構わないわ。空中ブランコ担当よ」



ローゼは順番に二人と握手を交わす。それに続いて、カリスも手を出してきた。



「遅ればせながら、僕はカリス。猛獣使いだよ」



リトアルドはカリスの手を取ろうとしたが。



「よろしくお願いします! あの、カリスって呼んでもいいですか?」

「あ、うん。こっちもアズって呼ばせてもらうね」



アズナが目にもとまらぬ速さでカリスの手を取った。



「凄い速さ……」



呆然としていると、ローゼは肩に手を置いてきた。



「カリスは女の子に人気だからね。彼氏にするなら今のうちよ」

「私は男の方には興味ありませんので」

「あら、あまりいない方の女の子ね」



きっぱりと言うリトアルドを、アズナは目の端で睨みつけた。けれど当人はそれに気付いていない。

カリスは、今度はリトアルドに手を差し出してきた。



「よろしくね、リート」

「よろしくお願いします、カリス」



握手を交わし、四人はテントの中に入った。










テントの中央で、サーカス団員全員が座っている。その前に立っているのはリトアルド、アズナ、カリスだ。すでに全員が本番用の衣装を
身に纏っていた。と言っても、リトアルドとアズナだけが私服だったので、二人を着替えさせただけだ。



「みんな、新人のリトアルドとアズナ。昨日話した子達だよ」

「リトアルドです。リートと呼んでください。よろしくお願いします」

「アズナって言います! アズって呼んでくださいね。皆さん、よろしく!」



「いえーい!」と言って、団員が拍手をする。二人は礼をした。



「それじゃ早速だけど、リハーサルをやるよ。みんな準備して!」

『了解、団長!!』



一言叫んだ後、団員が散らばっていく。カリスは、唖然としているリトアルドたちの方を見た。



「そういえば言ってなかったよね。僕はこのサーカス団の団長。団長カリス、猛獣使いのカリス、どちらで呼んでもいいからね。でも、
できれば普通にカリスって呼んでほしいな〜」

「(この人、団長だったんだ…)」



今までの言動を見ていれば、この男が団長だと気付く者はいないだろう。



「……」

「どうしたの、アズ?」



リトアルドが、黙りこんでいるアズナに声を掛けてみると、アズナはぱっと顔を上げた。その目は太陽の如く輝いている。



「カリス、団長だったんだ! すごい! 猛獣使いも団長も務めるなんて、カッコいいです!!」

「いやー、それほどでも」



アズナの言葉に照れ、カリスは頭を掻いた。顔は赤くなっている。



「おーい、団長もリハーサルしとけよ!」

「そうだぞー!」

「前みたいに失敗しても、助けねーからなっ!」



赤くなったカリスを見て、団員達が口々に叫んでいく。聞いてみると、どうやらカリスは幾度か失敗しているらしい。



「みんなが煩いから、また後でね」

「はい!」



最後までテンションが高かったアズナは、カリスが立ち去るのもずっと見つめていた。何故だか、手も組んでいる。これでは恋する乙女で
はないか。



「アズー?」



リトアルドはアズナの目の前で手を振ってみるが、彼女はまったく反応しない。



「おーい。帰って来ーい」

「……カリス…」



リトアルドは呆れかえり、テントの端にアズナを引っ張っていく。その間もずっと、アズナはカリスの去った方を見ていた。
 


「アズ、カリスに恋しちゃった、なんて言わないでよ?」

「うん……」



心ここにあらずの状態で答えるアズナ。これで、カリスに恋心を抱いたのは決定だ。



「まったく。それじゃ、さっさと練習しよう。カリスにすごいとこ見せようよ。本番で成功させれば、もっとアズを誉めてくれるよ」

「うん!!」



扱いやすい人だなあ。リトアルドはそう思った。ここまで簡単に言うことを聞くとは思っても見なかったからだ。

そして、リトアルドはウンディーネを、アズナはサラマンダーをそれぞれ召喚する。サラマンダーは火の粉を撒き散らし、ウンディーネは
その火の粉を水でそっと包んだ。



「ねー、リート。本番でもっとすごいことしようよ!」



水と火の粉が消えたところで、アズナがリトアルドに言った。



「すごいことって?」

「それは本番まで内緒。あたしがすっごいの出すから、それにあわせてウンディーネを召喚してよ」

「うーん……その「すっごいもの」にもよるかな。私ができることをやってよ。本番で失敗しちゃったら、台無しだからね」

「任せといてよ」



そう言ってから、アズナはカリスのもとへと走っていった。リハーサルを見るつもりなのだろう。対してリトアルドは、楽屋と言われた場
所(ただ単に一枚の布で区切ってあるだけの部屋)に入っていった。そこには衣装や小道具が置いてあって、団員が休む場所はほとんど無
いと言っていいような場所だ。



「アズがカリスに恋しちゃったかー」



リトアルドは適当に、その辺りにあった木箱の上で膝を抱え呟いた。



「これじゃ、魔法の勉強は二の次どころじゃなくなっちゃうよね」

「お前は興味無いのか?」

「私は彼氏とかなんていらないし」

「だが、友人がどんどん妻というものになっていくのに、お前は一人でいいのか?」

「友達が幸せになるなら、自分はどうでもいいよ…て、え?」



自分の呟きに答える声があったのでつい話してしまったが、この声の主は一体どこにいるのだろう。この楽屋には人影は見えなかったはず
なのだが、見えなかっただけで本当はこの場にいるのだろうか。



「俺はここだ。見えないのか? まさか、そんなわけは無いだろう?」


 
声のした方を見てみると、銀髪の男がリトアルドと同じように木箱に座っていた。整った顔立ちに、瞳は海のような深い青。小道具などで
あまり見えないが、細く、けれど引き締まった体つきをしている。身に纏っているのは、リトアルドが今までに見たことも無いような服だ
った。



「あ、ごめんなさい。気付かなくて…」

「気にするな。慣れている」

「慣れているって、そんな……」



そう言った銀髪の男の顔は、全く感情を出していなかった。むしろ、諦めている風にも見える。



「それで、お前は?」

「わ、私?」



唐突に言われ、リトアルドは一瞬たじろいだ。この問いは一体何を尋ねているのか。



「お前の名だ。何という?」

「…リトアルド、リトアルド・サフィーユって言います」

「リトアルドか。皆はリートと呼んでいたか?」

「は、はい」



リートと何度も繰り返し呟く男は、妙に楽しそうに笑っていた。



「まあ良い、リトアルドと呼ぼう。俺の名は栖螺希(すらき)だ。敬称はいらん。そのまま呼べ」

「すら、き……?」

「そんなに片言で言うな。この名は他国の文字で、こう書くんだ」



そう言って栖螺希は、落ちていた紙に名を書いて見せた。



「当て字なんだが、俺は割と気に入っている」

「はあ…」



リトアルドの事などお構いなしに、栖螺希は話を続ける。



「それでだ、リトアルド。お前は、友達が幸せになるなら自分はどうでもいい、と言ったな。ならば、友達が幸せになりたいと願い、その
ためにお前を貶めようとしたのならば、お前はどうする?」

「いきなり、何なんですか?」

「いいから答えろ。お前の未来がそれで決まる」

「………それでもいい。ただ幸せになりたいって思ってやったことなら、私は恨まない」



リトアルドの答えに、栖螺希は、少し哀しそうな顔になった。



「そうか。お前がそう思うのなら良い。これで、お前の未来は定まった。後悔することの無いようにな」

「一体、何を…」

「リート、ここにいるのかい?」



リトアルドが栖螺希に問おうとしたとき、楽屋の布を持ち上げ、カリスが入ってきた。リトアルドはそちらを見る。



「そろそろ本番だ。お客さんを出迎えなきゃ」

「はい。栖螺希も一緒に…あれ?」



視線を元に戻したとき、そこに栖螺希の姿は無かった。辺りを見回しても、最初のように何処かに隠れている様子はない。



「何を探しているんだい?」

「今まで栖螺希って男の人と話してたんですけど、いきなりいなくなっちゃって」

「スラキ、ねえ……。このサーカスに、そんな人はいないよ。もしかして、寝てたの? さっきアズナに聞いたよ、待ち合わせの時間まで
寝てたそうじゃないか。もう本番間近なんだ。そのまま出て、失敗しないでよ」

「は、はい……」



リトアルドは、カリスに続いて楽屋から出た。けれど、栖螺希の言った言葉が頭から離れなかった。










開演の時間が、刻々と迫っている。カリス達はまったく緊張していないように見えるが、リトアルドとアズナの二人はガチガチと震えてい
た。



「そんなに緊張しなくてもいいのよ。確かに失敗したら大変だけどね、そんなに緊張してると、かえって失敗するわよ?」

「そ、そんなこと言われても、どうしようもないの!」



アズナはこんな状態だが、リトアルドのほうはもっと重症だった。歩き回りながら「う〜」と唸り、地妖精・ノームを呼び出して地面を掘
らせたり、シルフを呼び出してノームに掘らせた土を風で舞わせたりしている。自分でも何をやっているのか解らないようだ。

そんな二人を見て、カリスが笑う。それから、こう言った。



「リートもアズも、落ち着いて平気だよ。そりゃあ、僕たちは何度もやってるから、全然緊張しないのは当たり前だし、君たちが緊張し
て、何が何だかわからなくなるのも当たり前。でもさ、他人に見せるものでも、自分が楽しまなきゃ何にもならないでしょ。それに、君た
ちはあんなにすごい芸を見せてくれたんだ。それをお客さんに見せなきゃ、もったいないよ。大丈夫、失敗しても何とかなるさ。ね?」

「カリス……」



アズナの顔が真っ赤になる。前以上に惚れたか。



『頑張ります!』



同時に二人は言った。団員全員が微笑む。



「よーし、それじゃ、そろそろ開演だ。みんな、行くよ! しっかり準備運動しておいてね!」

『了解!!』



リトアルド、アズナの初舞台が、遂に始まった。










     お気に入りましたら、クリックお願いします♪








     Back     Next